書評:「河川にもっと自由を」

   高橋 裕(芝浦工業大学客員教授・河川審議会水利調整部会長)

   1998.8.15 第1版  ¥1,905 山海堂

 (福井市立図書館:517・ヨ)

今年の台風や長雨では東北地方・北関東を始め、全国各地で大規模な河川の氾濫が起きた。1998年11月2日付けの「NIKKEI ARCHITECTURE」では9.24高知水害として「水没した高知県立美術館」を紹介している。「1.3mの床上浸水で被害総額10億円」で「県展の作品や美術館所蔵品の一部が水につかり…他目的ホールや能舞台も水面下に沈んだ」と報道している。美術館は国分川と舟入川の合流点にある遊水地を埋め立ててつくったものである。建物は立派ではあるが、設計者は立地条件をほとんど考慮に入れていなかったようである。

筆者は「1960年代に入って…大河川の破堤頻度は激減した。技術者は再び堤防を過信したのではなかろうか。」「流域住民も堤防は絶対に切れないことを大前提とする意識となり、それに沿った生活を築き始めた…それが、破堤時の災害を一層大きくすることに働く。」「そもそも、河川法以後の治水戦略は、洪水を一刻も早く海へ突き出すことを目標としていた」とこの40年間の河川観・河川行政を反省する。

そこで筆者は「そもそも堤防だけで治水ができると考えたり、堤防を絶対に切れないと考えることが間違いである」と説く。「面積当たりの堤防密度が世界一の日本全国の長大な堤防区間のすべてにわたって未来永劫に破堤を食止めることはほぼ不可能に近い。とすればいったん破堤した場合に、被害を最小限にとどめる手段について、より多くの努力を払うべきである。」という。そのためには土地利用のあり方、危険情報提供、避難体制の整備、被災者に自動的に救済措置がとれる法制度、行政対応(水害保険・農業共済制度のような)・雨水の流域貯溜等のソフト的対応を提案する。

「“河川と人間の共生のあり方”は、環境との調和を重視し、洪水流を無理矢理に河道に押し込めることを最終目標としないことだ。また、確率洪水の尺度による治水安全度に固執せず、何十年、何百年に1回は破堤氾濫することを考慮に入れ…被害を最小限に止める方策を確立」こと、「河川との共生の哲学」を提唱する。

最近は「哲学」のない時代である。現在手元にある技術を過信し「河川をあたかも土木施設」と見なし、「ひたすら、構造物や施設をつくることに狂奔」し、土木技術の赴く間々に川を堤防の中に押し込めようとしてきたが、そのような「哲学」のない技術は必ず自然の手痛いしっぺ返しを受けるものである。最近の考古学によると、中国では夏の王朝の兎の時代以来5000年にもわたり、河川という“自然”との付き合いを行ってきているというが、100年・200年単位でものを見る必要がありそうだ。